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zoom RSS ゼロリスクの裏側

<<   作成日時 : 2011/06/22 16:21   >>

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一般人は「ゼロリスク」、100%の安全性を求めていると言われるが、そうでもないと思う。

なぜなら、放射線があるって言われても、あれだけの人が「仕事があるから」移住しない。立ち入り禁止区域だって、牛の世話等に通っていた人がいる。津波が去ったその場所に家を再建しようとする人もいる。誰でもいざとなれば、いろんな事情を勘案して、それなりにリスクを取る行動をせざるを得ない。

勘案するバランスが変なこともあるけど、平均的な人が不合理にゼロリスクを要求しているわけではないと思う。

とはいえ、むやみにリスクを避けている人に合理的な行動を取るように説明や説得をしようとすると、相手から「でも危険なんでしょ」と、ゼロリスクでないからと受け入れてもらえない現象はあると思う。


一つの理由は、「めんどくさい」ではないだろうか。避けるのに大してコストがかからない場合には、ちゃんと情報を集めて判断するのがめんどくさいので、安全側の行動をする。これはある意味合理的だ。丁寧に情報提供することで説得が可能だと思う。

「めんどくさい」は別の現れ方をすることもある。リスクにしろなんにしろ、量によって柔軟に考えなければいけないのはそうだけど、人間の行動とか、判断とか、責任を取るかとらないか、裁判でどんな結果が出るか、は、数字ほど連続的でも柔軟ではない。やるか・やめるか、逃げるか・逃げないかなら二択だし、そうでなくてもそんなに段階が多いわけではない。だから、日ごろ見慣れていない測定値などを示されても、じゃどっちにすればいいんだ、とズバリ結論だけ聞いてしまう反応に出てしまう。これについては、このぐらいならこう、といくつかのケースで考えられる対応を示すという説明が有効だと思う。


別の理由として、「でも危険はあるんでしょ」が「もし何かあったら責任をとってほしい」という意味のこともある。「問題が起こるのは、とても低い確率なので気にすることはありません」や、あえて「安全です」と言い切ったりするのは、問題が起こったら責任を取ってほしい人から見ると、無責任に言い逃れようとしているように見えるだろう。

責任が問題になる場合、本人にとっても深刻な問題で、かなり勉強していることも多い。情報を提供することで解決しよう、という態度では反発されると思う。


原発問題では、まだややこしい理由がある。原発を推進してきた産官学マスコミにどう対峙したらよいかという問題。敵はとても大きいので、大きな怒りをぶつけないといけないと、原発反対の人は思っているだろう。この程度なら大丈夫、というメッセージは、結局今までのように国策に従う道につながっているように思えるのだろう。恐怖や怒りを巻き起こさない良い方法がないと、不毛だと思う。


まあとにかく、「何かあったらどうするの」の前段としての「でも危険があるんでしょ」をゼロリスクの要求だと解釈しているのは、何かあったときの対策もなければ当事者に対して責任も取りたくない誰かだろうな。

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